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無事KOUSの公演が終わり、スタッフはそのまま舞台のセットを撤収する「バラシ」の作業に入る。公演が終了したのが21:30頃のため、大急ぎで作業を進めなければいけない。ちなみに舞台監督の塚本さんの見立てでは、終了は26:00くらいではないかとの事。
とにかく、舞台を撤収するグループと、荷物を梱包するグループに分かれる。Hajaの黒子達は仕込みに触れていなかったこともあり、荷物の梱包にまわってもらう。搬入の梱包時もそうだったのだが人海戦術の強み+集団としてよく組織されているから、彼らは仕事が速い。僕から見たらどえらい勢い良くしゃべりながらやっているのだが(もちろん言葉がわからないからペチャクチャしているように見えるだけ、というのもあるし、彼らが若いからというのもある)いつの間にか作業が終わっているのだ。例えば日本で経験してきた限りでは、こういった作業の時は黙々とやっていた。話すよりも手を動かす方が先だ、という意識。彼らの言葉が分からないので憶測でしかないのだが、あれだけの勢いで話すことで•指示を出す•協議する•共通理解をする 事をやっているのかな、と思うと非常に面白くもあり、うらやましくもあるような奇妙な気持ちになった。 作業中にそんな述懐をする暇は到底なく、天井にのぼってはバタバタと木材を降ろしてゆく。照明の三浦さんにも一緒に手伝っていただく。天井での作業が終わって下におりる頃には、作業も後は小物の処理を残すのみにまでなっていた。次の公演地固城にむけて、新たに梱包のし直しである。 大きい物は運んできた時と同じ形に戻せば済むのだが、消耗品や小物は「何をどこに」を新たに組み直さなければいけない。この時に梱包を仕切る人間が一人いるとチャッチャと進むわけだ。今回は黒子の田計さんがそれを担当している。公演終了後すぐで、フラフラになりながらも各バッグに入れる物を仕分けし、手運びとトラックで輸送の分に分けてゆく。 24:00過ぎには劇場入り口に荷物も運び終わり、バラシの作業はほぼ終了。この時点でHajaの黒子は男子4人のみが残ってくれていた。帰りはヒオックスさんの車で送ってもらうそう。劇場の方との事後の打合せ、明日荷物を引き取りにくるトラックの手配の事など事務連絡をして、25:00頃全員劇場を退出する。明日は朝一番に業者が荷物をピックアップしてそのまま固城まで運んでくれるそうだ。しかもこちらの立ち会いは要らないらしい。本当にそれで大丈夫か?が半分、無事に固城に到着してくれがもう半分で、明日の固城への大移動を考えつつ就寝したのであった。 (まだ 続きます) 七井 #
by korea-2010
| 2011-04-18 12:57
公演前、問題になっていたことの一つに道具輸送があった。 10月から日本から韓国への輸送と韓国国内の輸送をどうするかについて検討を重ねてきた。『ファン・ウンド潜伏記』の公演を見て下さった方はわかると思うが、この作品はとにかく舞台道具が多い作品だ。大きな繭玉、繭の水槽、監房、台車、船、巨大なお面などなど…技術者の吉田さんに見積もってもらい、これだけの荷物を運ぼうと思ったら2tトラックが必要だということがわかった。 これだけの道具を海を越えて日本から韓国に運ぶ。そして、韓国内でソウルから固城へ運ぶ。これだけでもなかなか大仕事だ。道具が届かないという最悪の場合を考え、何度となく背筋が寒くなる思いをした。 態変ではこれまで何度も海外公演を行なっている。しかし、資料を見ても、飛行機の受託荷物で運んだ記録はあるが、それ以外の方法で送った記録はなかった。これだけの荷物を運ぶのは初めてのようだ。 始めに船便で送るプラン・飛行機で送るプラン・トラックごと船で韓国に送るプランの三通りのプランを考えた。 飛行機で送るプランはコストがかかり過ぎるので却下。トラックごと船で韓国に送るプランは、韓国内の移動も一気に解決出来るかも、と考えていたが、一般の人のトラックを船で送ることは原則無理だそうで却下。最終的に残った船便で送るプランに決まった。いくつかの業者を調べ値段が安い業者に決め手続きを進めた。 業者とやり取りをしている内にわかったのは、船便でのコンテナ輸送を利用するのは大半が日常的に貨物のやり取りをする運輸業者だそう。そのため手続きも一般化されておらず、とてもややこしい。業者ならば慣れているので手続きもスムーズだが、いちげんさんで一般の人が使う今回のケースは珍しいらしく、一々手間取った。手続きで厄介だったのが、重要な書類のやり取りが基本的にFAXで行なわれることだった。FAXが届かない危険性もあれば、そのバックアップもない。FAX一枚が届かないだけで最悪の場合、道具が受け取れないこともある。出発前に一枚のFAXが届いたどうかを、2~3日間ずっと心配していたこともあった。 もう一つ韓国側で受取人を立て、その人が表に立って手続きをしなければならないことも、態変側で進行状況が掴めず、無用な不安を増大させる結果になった。しかし、差出人も受取人も日本人だったら偽装輸送になり法に抵触するそうなので、そこは従わざるをえなかった。 具体的なやり取りのことと仕事量から検討し、受取人を韓国在住の協力者の北澤さんにお願いすることにした。そして2月の渡韓の際に複雑な手続きについての引き継ぎを済まる。しかし、その後、日本の業者から「北澤さんは、団体に属していないので受け取り人の資格がない」と言われ、急遽ハジャ作業場学校のヒオック先生にお願いすることに。ヒオックさんは本業の学校の仕事が忙しい中、今回の韓国側の仕事の大部分を担ってくれていた。そのため、ヒオックさんに依頼するのは心苦しかったが、他に頼れる人もおらず、仕方なくお願いする。ヒオックさんは忙しさから、連絡が取れないこともしばしばあり、手続きの進行状況が全く分からない状態が長く続いた。ようやく連絡が繋がったのが、渡韓一週間前で、そこで、道具輸送のことは問題なく進行していることがわかる。具体的な内容はわからなかったが、ヒオックさんが責任を持ってやってくれているのだからもう任せるしかないという気持ちだった。 道具が港に到着し、港から稽古場のハジャセンターに運ばれ、後発隊のメンバーが16日に劇場入りした時には道具は全て揃って稽古場であるハジャのホールの中に運び込まれていた。 ※写真は監房のパッキング後の姿、強化段ボールで包まれた段ボール箱を詰んだ船便が韓国に向か いました。 (制作補佐:貴田) #
by korea-2010
| 2011-04-14 17:22
ブログ更新が大変遅くなりましてお待たせしております。今後更新していきますのでご注目下さい。
3/16(水) 後発隊出発/韓国黒子稽古日 全体稽古に先立って黒子稽古を行なうため、先発隊は前日の15日出発だったが、その他のメンバーは16日に出発。役者、スタッフ、技術者の総勢11人のメンバーが揃っての出発である。11:45発の飛行機に乗り込むため、集合は余裕を見て出発2時間前の9:45。 荷物の準備だけでも一苦労だった。飛行機で運べる荷物の重量には制限があり、また、役者の内、車イスで移動のメンバーもいたため、荷物を運べる人員の数などを考慮し、15日出発組と16日出発組で荷物を分けて運ぶ。飛行機で荷物を運び、なくなったという過去の公演の際の反省から、全ての荷物を無事届けられるよう確認のために荷物一つ一つに便名と荷物の番号を書いたタグを付ける。 事務所から、前日までに仕分けしてあった受託荷物と、機内持込みの荷物を載せたタクシーに乗り込み空港へ向かう。途中で役者の福森さんをピックアップする。 福森さんは態変初の海外公演であるケニア公演から参加の態変の最年長の役者だ。常にワクワクと新しいものに対して、好奇心を持って取り組んでいる姿勢には、いつも自分もこうありたいと見習いたいと思っている。最近は年齢のせいもあり、体力が心配。日本での最後の稽古でも体調が良くないと言っていたので、朝一で「体調はどうですか?」と尋ねる。「まぁまぁ。良くなって来たかな。」という返答で、顔色も悪くない様子で、少し安心するも、ツアー中、福森さんの体調にはくれぐれも注意しておかなければならないと再度意識し直す。 朝で道がすいているようで、空港には集合時間の1時間前の8:45に到着。到着するとカウンターの前に役者の上月さんの姿が。出発を9:45と勘違いし、7:30頃から空港にいたと言う。早過ぎるだろうと思いながら、やる気が漲っている様子にこちらもいよいよこれから韓国へ向かうのだと気持ちを新たにし、気持ちを入れる。 メンバーが集合するまでの時間で、ソウルに到着してからの移動のためのタクシーを呼ぶため電話をかけ、11人のメンバーと荷物が15個ぐらいあるため大きいサイズのタクシーに来てもらうことに。 11人となると一緒に動くだけでも大変だった。 まずは、11人と荷物を載せたカート3台を押しカウンターへ。 車イスのメンバーがいるということで、一般客が並ぶ列には並ばず、先にカウンターに通してもらう。荷物のチェックインを済ませ、搭乗手続きへ。 特に大きな問題はなかったが、誰かがふらっとトイレに行くだけでも誰々がいないと探すことがあり、ツアコンとして「次はどこに行きます」という声出しを全体に行なうことが非常に大事だと感じた。 ほぼ予定通りの時間で13:30頃ソウル・仁川空港に到着。関空で呼んだタクシーの所へ。タクシー1台では全てのメンバーは乗れず、荷物も乗らないということで、もう1台他のタクシーを頼むか?と運転手に聞かれるも、2台もタクシーを呼ぶ資金はないので、荷物と、車イスのメンバーを優先し、車イスを押せる人員とともに1台のタクシーに乗り込む。その他のメンバーには、これまで何度か韓国に来ていて、韓国の地下鉄の勝手と、今回のソウルでの宿舎の場所を知っている役者の小泉さんにツアコンをお願いし地下鉄で宿舎に向かってもらえるようにお願いした。 タクシーの運転手から日本の地震のことを聞かれ、心配してくれてありがとうと伝える。聞けば、1つのチャンネルで朝から晩まで日本の地震に関する報道をしているチャンネルがあるとのこと。韓国での日本の地震に対する関心の高さを知らされる。このツアーの間、会う人毎と言っても良いぐらい、多くの人に日本の地震のことはどうですか?ということを聞かれた。多くの韓国人が日本のことを心配しているということは、とてもうれしいことだと思った。 タクシー組が宿舎に到着後、しばらくすると、地下鉄組も到着。その日の夕食を調達するために、役者の楠本さん、舞台監督の塚本さんと三人で全メンバーの夕食の買い出しへ。テイクアウトが出来る店を探し、何軒か回り、日本の定食屋を発見し、そこでトンカツ弁当などを購入しホテルへ。後発隊の11人が到着し、先発隊5人と合わせて16人のメンバーが揃った。16人ともなると、1回の食事だけでも調達が大変になるため、朝食調達の担当を役者の楠本さん、スタッフの米良さんの二名にお願いする。各自からお金を徴収し、前日の晩に近くのコンビニやパン屋さんで、朝食を調達し各部屋に配ってくれた。メンバーの体調のことを考え毎日朝食を調達してくれていたので、とてもありがたかった。 黒子稽古後、KOUSに移動し、今回ソウルで劇場押さえを始めとして様々な所でお世話になった陳さんとの打ち合わせを済ませ、金さん、里馬さんが宿舎に帰ってくる。夜遅くになったが、先発隊、後発隊含めての全体ミーティングを持つ。後にも先にも全体でのミーティングはこの一回となり、ツアーの忙しさを感じる。ミーティングでは17日の合同稽古以降は固城公演までノンストップになるという話で、改めて13日間のツアーに対して、気持ちを引き締め直した。 (貴田) #
by korea-2010
| 2011-04-14 14:00
このブログを通じて、韓国プロジェクトを応援して下さった皆様、
ツアー中に韓国での様子をお知らせすることができなくてすみません。 もう、ツアー終了から2週間が経ち、既に劇団態変では次のプロジェクトに向けて、 スタートしています。 改めて、その次のプロジェクトの原動力となった今回のツアー公演がどのような様子だったのか、 黒子の様子に焦点を当てた報告を出させて頂きます。少しでも、様子が伝われば幸いです。 ■15日 先発隊、出発 この日、金さんとスタッフ4人が一足早く出発。直前まですったもんだした荷物も、無事韓国に到着。空港で食事後、一路宿へ。宿に着いてから、16日の黒子稽古と17・18日の韓日合同稽古の打ち合わせを行いました。いよいよ始まります…! ■16日 黒子稽古 この日は14:00~18:00まで黒子稽古。実は、前日に「ハジャの黒子が新たに6人増えるらしい」との報を聞いており、どんな子達が集まってくるのやらとドキドキしながら稽古場であるハジャセンターへ向いました。今回の稽古場は、今までの稽古で使い、慣れ親しんだ999号室ではなく、ハジャセンターの同じ敷地内にある「ハブホール」という場所。10月のサミットが行われた場所です。日本黒子が13時に到着してみると、ハジャ黒子も今や遅しと待ちかまえていた様子。知った顔も見えるが…おやおやおや、一体何人新人黒子がいるんだ!?と、人の多さにびっくりしたのですが、聞くと、黒子以外のスタッフも稽古に参加するとのこと。みんな、自分の名前が書かれたシールをつけて、自分たちに仕事を与えてくれと言わんばかりにらんらんとこっちを見つめています。予想外に早く到着した道具も、ハジャのスタッフの子達のおかげで瞬く間に荷解き終了。黒子稽古では、この日初めて、冒頭の風景布のシーンの稽古が行われました。日本黒子と、韓国黒子が息を合わせて、海、川、大気、山の風景を描いていきます。本番の舞台で、お客さんにはどのような風景に映るのでしょう… 稽古後、韓国の黒子頭のドンニョンから新人黒子について、「自分たちでしっかり講習を行って選抜したメンバーだから、どんどん仕事をふってほしい」との話がありました。自分たちが学んだことを今度は次の世代へ渡していく、ということを自分たちの責任として果たそうとしているハジャ黒子。こちらが見習わなければ、と思わされました。 ■17日・18日 韓日合同稽古 いよいよ韓国のエキストラ、態変の役者も揃っての合同稽古。一日目は予想をはるかに上回るペースで進み、作品の頭から終わりまでを通せた状態。今までぶつ切りで稽古をしていたシーンがひとつなぎになり、いよいよ作品がその全貌を現し始めます。 ■19日 仕込み・黒子稽古 日本黒子は午前中に仕込みをした後、午後は稽古班・仕込み班に分かれて行動。この日の黒子稽古では、前日ハジャ黒子から出た要望を基に稽古を組み立てました。ハジャ黒子がこれまでに稽古してきたシーンは、作品の特にややこしい所と、エキストラが出演するシーンに限られていて、態変の役者の出演シーンは舞台で何が繰り広げられているのか分からないままに、日本黒子が言うのに合わせて合同稽古に臨んだ状態でした。この日の黒子稽古では、ハジャの黒子達の希望に沿って、作品の後半部分を一つ一つ押さえてゆきます。黒子は上下の袖に別れて、まず役者代役の毛布を日本黒子が動かしながらシーンの説明をしたのですが、それを聞くハジャ黒子の表情は真剣そのもの。また、この稽古の最中、私はシーンの説明をしながら、ハジャ黒子と自分との関係性を、ただ個人と個人の一対一の出会いではなく、そこには韓国と日本という国同士の出会いがあるのだということを思いました。「敗戦」のシーンに続く、プンムルの場面を、どんな言葉で語るのか。この場面でプンムル隊が出て行く所は、この作品で私が好きな場面の一つなのですが、立場の違いを超えて、人が、「解放」の喜びに一つになる瞬間が描かれる場面だと思っているので、それを率直に言葉にしました。直接、ハジャ黒子とそのことについて言葉を交わすことはできなかったことが心残りですが、作品づくりに向かっているハジャの黒子も日本の黒子も、立場を越えて一つになろうとしている過程なのだと感じました。 ■20日 場当たり・ゲネ ハジャ黒子にとっては初めてとなるホール。事前にハジャ黒子自身が「自分たちは実際の袖中の狭さと暗さを充分には想像できていないと思う」という不安を漏らしていましたが、やはり実際の袖中に入ってみると、その暗さと狭さには面食らったよう。勝手の違いに、ちょっとパニックになっている様子も伺えました。この日の終わりに、ハジャ黒子のホンジョに感想を聞くと、「ミスをたくさんしてしまった」と悔しそう。でも、それに続いて、「今日帰ったら総台本をよく読み返してイメージトレーニングしてくる!」との答えが。本当に熱心に取り組んでくれるハジャの黒子なのです。 ■21日 ソウル本番一日目 いよいよ本番。開演を待つ袖中で、思い思いの場所で本番に備える黒子を見ながら、「すっかり、どこから見ても黒子だなぁ」という感慨を持ちました。昨年の10月の初稽古から数えてわずか4回の稽古で迎えた本番ですが、袖中には、開演を息を潜めて待つ「黒子」の姿が。私は、その、開演前のぴりっとした、息を潜めて待つ厳粛な感じが好きなのですが、ハジャ黒子も心得たもので、役者の集中を妨げないように、自分たちも精神集中していきます。ハジャ黒子と、態変の役者が小声で「頑張りましょう!」と言葉を交わし、がっちりと握手を交わす一幕も。この日の公演は、お客さんから盛んに拍手を頂いたり、歓声が上がったりと、幕を開けてみるまでは一体どんな反応が返ってくるのかとドキドキしていたこちらとしては期待以上の盛り上がりでした。黒子としては、ミスも多かった初日ですが、無事幕が開き、また、お客さんから上々の反応を頂けて良かったです。 ■22日 ソウル本番二日目 本番二日目のこの日の本番直前、袖中で、ホンジョが呼ぶので何だろう、と思って聞いてみると、きりっとした表情をこちらに向けて、「No mistake!」と、一言。渡韓8に臨む前、黒子の方針として、日本黒子が監督役で作品の流れを押さえて指示をする、ということを立てていたのですが、ソウル本番も二日目になると、日本黒子の指示を待つだけでなく、ハジャ黒子が中心に袖中の空気を作っていました。私なども、ホンジョに逆に引っ張ってもらっていたぐらい。この日は前日のミスも修正でき、場面転換もテンポ良く進みました。 ■23日 固城移動、仕込み/WS この日は4時間かけてソウルから固城までバス移動。ハジャ黒子はそれぞれエキストラとペアになって座席に着きます。始めこそ、長距離移動に浮き立つ雰囲気がありましたが、バスが走り出してしばらくすると、あちらこちらで寝息がスヤスヤ。私もここぞとばかりに寝てしまいました。途中寄ったサービスエリアでは、休憩時間の予定を少しオーバー。乗降の時間を考えたタイムキープをしないと、これだけの大人数での移動は大変です。固城では、固城五広大や協力者の方々が出迎えてくれました。仕込みと並行して行なわれたWSでは、固城での公演に向けての打合せも兼ねて、五広大とのセッションが繰り広げられました。この日五広大の方が見せてくれた、古くからあるという「癩病者の踊り」を見ていて、人は何故踊るのか、踊りを見て心を打たれるのは何故なのか、ということを考えました。それは、踊りという手段が、自分はここに生きているという証だからなのではないかと思います。踊る側も、それを観る側も、その命を祝福し合うような輪が、音楽と踊りとを中心につくられる、そんな現場に立ち会った、という気がしています。この日のWSで、固城での公演は凄いことになるんではないか、と胸が高鳴りました。 ■24日 場当たり・ゲネプロ 固城での舞台は、一つ一つの場面を少しずつ短くして、凝縮した舞台がつくられてゆきます。場当たりでは、カットする場面中心に確認が行なわれました。限られた時間の中で、黒子も次に来る場面に備えて袖中をせっせと動き回ります。場当たりの最中に、固城五広大の方々が到着し、本番に備えた打合せが行なわれます。最終の打合せは本番当日に持ち越し、この日は終了。 ■25日 固城本番 固城での本番は、大勢のお客さんが来てくれていて、開演前はちょっとしたパニック状態。舞台は、五広大との共演あり、固城出身の踊り手であるパク・キョンランさんとの共演ありで、かけがえのない貴重な舞台となりました。特に、マダンのシーンで、「きっと、ファン・ウンドが行なったマダンの集会も、こんな風だったんじゃないか」という気がしました。ファン・ウンドが独立に闘志を燃やしたことと、現代に生きる自分達が、日本と韓国という境界、また、健常者と障害者という境界を越えていこう、とする意志がオーバーラップし、今目の前に繰り広げられているような光景を見せてくれているのではないか、という気がして、胸が熱くなりました。自分自身の不勉強で、ハジャの黒子と腹を割って話し合えた、というところまではいかなかったですが、作品を通して語り合っていたのではないかと、そういう気がしています。 ■26日 ソウルへ移動、打上げ 固城での本番を終え、ソウルへ移動。そして打上げ。ハジャ黒子はこの日、帰ってからもハジャセンターでのイベントを控えていて、すぐそちらの準備に取りかかってました。なんてタフなんだ・・・。バタバタとして、顔を合わすことができた黒子とは挨拶を交わせましたが、ゆっくり話ができなかったのは心残り。しかし、ハジャの黒子が何を経験し、何を感じたのかは、また別な形で(ヒオックスさんから出されたという「宿題」への解答として!?)聞かせてもらえるのを楽しみにしたいと思います。 ■27日 帰国 たくさんの荷物とたくさんのお土産話を胸に帰国。帰るまでが遠足、片付けまでがプロジェクトのうち・・・ということで、帰国後すぐ、スタッフで荷解きをし、道具を片付け。本当にお疲れ様でした! (黒子 小山) #
by korea-2010
| 2011-04-13 15:06
25日 固城公演 最終日
ホール入り 私は介護のため遅れてホール入り ホールに入ると黒子が和紙繭の引く速度の練習をしていた。 韓国黒子と日本黒子が上下で引いていて美しく和紙がほどけるようにする為に二人の速度を合わせの練習。 それが終了後、役者・黒子全員舞台上に集合。 演出から、今日は固城オーガンデーとコラボレーションをするためそのシーンは長くなる、なので、全体のシーンを短めにする。全体的にテンポよく進むように。 とのことが全員に伝えられる。 その後固城オーガンデーとコラボレーションするシーンを固城オーガンデーとあわせるリハーサルに。 ここでどういう風に固城オーガンデーがシーンに関わっていくかがすいすい決まっていく。 固城オーガンデーからもアイデアがだされ今まさに舞台をつくっている という感じだ。 リハーサルは3時まで続いた。 4時から開演だというのに・・・・!まだ開演前の準備が出来ていなかった・・・! 私は少しあせってしまっていた。 終了後すぐに気あわせ。 その後、急いですぐ道具や衣装の上下振り分けと配置。 ちゃんと上下の袖中に道具があるか最終確認作業。 焦っていたため確認するのにもいつもより手間取ってしまった。 いかんと思い気持ちを落ち着かせる。 私とペアになって舞台上で和紙をかぶせるという重要なシーンをする韓国黒子と動きを最終確認。 焦ってやるのはミスの元なのでとりあえず落ち着いてやろうということを伝える。 そしていよいよ開演。 いよいよ固城での公演、今までこのためにやってきて、それがこれで終わるな・・・ということがふと頭をよぎり 最後だということを再認識。 和紙をかぶせるシーンは今までで一番うまくいったと思う。 お客さんの反応が面白く、袖中からも客席からの写真のフラッシュがバシャバシャ見えた。 特にコソンオ-ガンデーとのシーンはものすごく盛り上がった。 袖中にいたが私も我慢できず舞台をのぞいて見ていた。 固城オーガンデーとコラボレーションするために黒子の動きが少しかわった部分を少し間違えてしまった・・・・こともあったが、舞台上へ目だったへまはなく進んだ。 そして終わる。 あれだけ終わらないと思うほどに大変であった韓国公演が終わった・・・。 ほんとうに終わってしまった。 そして怒涛の片付け、バラシ、パッキング。 韓国黒子にも手伝ってもらいさくさく進む。 そして終了後打ち上げ会場に参加。 ご飯をたらふく食べて宿に帰る。 しかし終わったのに終わった気がしない・・・・ざわざわ (田計) #
by korea-2010
| 2011-04-11 23:30
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